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うまし酒 蘇民の祭り 詣でなら もたいなきよに くすしき尊
丸子
詠人 徹心


丸子氏


 橘豊日(用明帝)ト穴穂部間人(孝元帝を祖とする高麗の子稲目の孫、馬子の姪)之次男、

 (冠名聖徳太子也ト)厩戸豊聡耳命ト正妃膳大郎女之子麻呂古親王ヲ祖トスル。


 愈々政難を甘受して、大和の国を二人の幼い子供を連れて後に丸子婆と呼ばれる女性が

 庄内を経て、現在の山形市七浦に安堵するより1400年近くの年月が経過する。

 最上国現在の山形県に霊験あらたかな地があり、その地の古き縁を頼って着た丸子

 のその尋常ならぬご苦労を労う。

 その後、山寺は慈覚大師円仁によって立石寺として開山に至る。我が一族先祖の大恩に依り帰依する。

  立石寺二世安慧大和尚を筆頭に、丸子家代々の僧侶は山内の中性院にて祭られている。

 現在も、毎年九月一日(古来は八月一日)山寺にて法要を営まれる。

 

 ・円仁 叡山 第三世天台座主 日本国最初の大師 (大乗戒壇設立した僧侶) 

 ・安慧 第四世天台座主 鑑真大和上の弟子道忠様の弟子の広智様が栃木は下野の大慈寺で安慧を教育して

最澄のいる京へ円仁と安慧は送られ大成した。 安慧の父は大狛氏、母が丸子氏である。



 紋 鳥の翼と觜(とろき)を合わせ圓に書く曽我(蘇我) 片喰紋

    現在 丸に片喰 (かたばみ)を用ゆ。



 庄内大物忌神社古記

 「吾朝二御類現ル時乗大鳥ノ両翼従雲路飛来玉フ左ノ翹二有二ツノ翹二有

 一ツノ卵左リハ産両所大菩薩右ハ産丸子ノ元祖其鳥於此国儲人孫再化本之鳥

 飛テ沈北嶺ノ池云々」


 大物忌とは三輪明神なりと。

 父丸子孝法、全国托鉢行脚にて三輪山を再興。

 三輪山大和朝廷基なり。

 四天王寺筆頭の寺院、元大三輪寺という。


四天王


 持国天 大神神社奥院元神宮寺 大三輪寺 平等寺
 増長天 吉野比蘇寺(比曽山寺) 世尊寺
 広目天 大坂四天王寺
 多聞天 斑鳩法隆寺

 聖徳太子、敏達十年(西暦581年)大神神社に大和の神官僧侶を集め、十一面観世音菩薩(大物主)に国家安護を祈祷する。
587年、騒乱を治めるために四天王寺を開く。この時、太子毘沙門天の像を彫り、和平と仏塔の建立を誓願する。
満願寺を結成として48箇所に及ぶ大寺院が建立される。日本仏教の基礎を固めた。
太子の軍師は景教徒で、秦河勝公という。徳川家菩提の日光東照宮最上に祭られる人なりと。

太子が目指したもの

平等


 人は皆平等であるというところ、自身が物部と蘇我両方の血統であり苦悩を重ねた厩戸皇子は世のあり方をお考えになられていた。
大陸、ことに朝鮮半島の人々に帰化を許し、官職地位を与えたのも太子のなせる業であったが、それゆえ、皇子は悲劇の人であった。
その太子の苦しみ、嘆き、悲しみをともに越えてきたのが膳大郎女(かしわでのいらつめ)である。


今、厩戸を想起して思うこと。
追記することがある。それは太子が目指したものは仏教という単一の宗教国家ではないということ。太子の作と後に継承される
十七条憲法の一文は、「和を以って貴しとせよ」これは、孔子儒教の「礼」「仁」であり律令国家の規範となったものであるから、太子は、
世が治まるのであれば、どんな物でも受容した、即ち、景教の河勝公を軍師と仰ぎ、皇祖大物主神に祈願し、百済の観世音菩薩を拝み、
経典を読み、自らも後世のために経を残した。さらに、中国の冊封体制を利用し仏教による治国策を推し進めていた列強国に同調する
という時代情勢をも深く読めるかの人に私心はなく、野心はなく、ただ一心に国民の安泰を祈ったということが垣間見られる。
今は聖人君主と讃えられ聖徳太子と長きに渡って冠され拝まれている厩戸という人は、実は彼こそが礼拝の人であった。
(南無阿弥陀仏)・・・・・仏とは「玉」精神である、まこと正しく素直な心をたもつという意味である。
(南無妙法蓮華経)・・・法とは「剣」制御である、それは己のわがままや妄想を断つという意味である。
(南無釈迦牟尼仏)・・・僧とは「鏡」和合である、すなわち人は皆己の鏡と思って協調し時代をになう意味である。
これを合わせて「三宝」という。神仏に何らへだたりなく、仏法を例えて極宗のより所としたのが厩戸皇子、後世に聖徳太子と呼ばれる。
太子が求めたものは、偶像にはあらず、実際的救世の方便であると。彼にとって、争いの絶えない世間とはまさに虚しさそのものである。
それゆえに時代時代の武将もまた、信貴山を拝み、或いは毘沙門天を掲げて戦に向った長尾景虎の気持を思うとき、戦没者の供養を念じる。

 上杉家桓武平氏良分流長尾氏
 現在、和の精神は、我が国の天皇陛下、総理大臣閣下、吾々国民、日本を愛する世界人類に真に受け継がれている。

 「和を以って貴しとせよ」

 太子の祈りは我々日本人ひとりびとりの平安への祈りそのものであると。

 皆疲れきっている。源平の争い、半島の争い、東西の争い、争いをやめて発展的な世界に向うべきであると。
 怒り、憎しみは、その増幅であり、最終的なところは非道で残酷なものである、だからこそ、どのような状況にあれ、
 平安を題目に、個人個人が融和の精神で、ともに生きながらえ、かつ、持続可能な世界を目指すべきであると。

 言葉は、感じるための一つの大きな手段であり、本筋はその意味を生活に浸透し実践してこそなりと。

 人類は、どこかで皆、繋がっている。人の子がどこに住もうとも、暖かい心で迎える気持ちが、先祖の大恩に報いることなのであると。


著作/千田寛仁 丸子家・藤原家・佐藤家・千田家・そのほか関係各家の複製を許可する

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 丸子に関する記述の引用と転載については、とりわけ正確な記載が求められます。編集の出来ばえ如何ではお取り下げを要求することも有りますから、万一掲載する場合は例え執筆を職業とする方であっても慎重を持して執り行ってください。
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