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![]() 岩手の歴史 岩手県は、日本国の語源となった日高見「ひだかみ」を古称とす る。その歴史はおよそ古く、太古の古代は原人と呼ばれた人々が 同県の早池峰山から宮守村、遠野にかけて住居していた。約45 00年の昔、他国より水害で移住してきた人々とともに文明と文 化がもたらされ、日高見国(日ノ本国)として北海道より九州ま でを治めていた。奈良時代には韓国朝鮮半島からの移民者が作っ た大和朝廷からは蝦夷と呼ばれたその中心地で、8世紀末の38年 戦争では日ノ本天皇アテルイは、大和朝廷同じく渡来系移民の子 孫である坂上田村麻呂の率いる朝廷軍と戦った。その後、蝦夷は 全国に強制移住させられて俘囚と化すが、後に一部が許されて帰 還し、11世紀までに俘囚長の安倍氏とともに半独立の勢力を築 いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の朝廷軍になびいた秋田仙北 の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛か ら後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く藤原氏が東北を統一して 黄金時代を築いた。 江戸時代には、県の南部は伊達氏、北部は南部氏によって統治さ れた。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、 現在の岩手県を支配していた南部藩・伊達藩はその中心となる が、結局敗れて明治政府によって占領された。 その後、盛岡県を岩手県に改称させられるなど、敗戦の屈辱をバ ネに人材が輩出し、原敬が総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終 わらせ議会政治の定着をはかるなど、近代においては岩手県元知 事の千田正の采配もめまぐるしく日本国家建設に多くの功があっ た。現在「陸奥=みちのく」と呼ばれる以外は、太古の栄光を知 るすべも無くなった岩手県ではあるが、日高見の国を童話「銀河 鉄道の夜」で有名な作家宮沢賢治がイーハトーヴォ(理想郷)に なぞらえる等、郷土を愛する市民の多いことも如実であり、冬の 気候は厳しいながら温情暖かな人々の集う理想都市である。現在 知事の増田寛也君をはじめ、岩手県民が一体となって環境問題に 取り組み、輝かしい郷土の歴史とその心を子供たちに継承してい る。 北上市は水の便に恵まれ、縄文の昔から北上市更木の水乞山を中 心に大規模な集落が作られている。昭和に入ってからは旧更木村 長の千田甚太郎によって北上川に昭和橋がかけられ、それより北 上はめまぐるしく発展を遂げた。ここ北上市は古くは宮守村、遠 野から移転してきた人々が、土地の郷氏と睦み、日本国の古称で ある日高見国の中央として古代は豊かな台地であった。 9世紀、平泉より遡ること250年前には、国見山極楽寺が山岳 仏教の拠点として栄える。 岐阜の歴史 歴史そのものは原始のむかしより人の住む。飛騨高山にはじまる 岐阜県の太古の歴史は、日高見国(岩手県)と耶靡堆国(石川 県)の睦みによって約3000年前に開かれる。シルクロードを 作ったサマルカンド(ソグド)のその末裔たちは、大淡上方(お おあわのかみがた)と呼ばれ15代続いた後は天照大神と名乗り 2250年前の35代(三輪明神の祖母)が奈良へ行くまで続く。 これより4代後の神武より大君の笏(しゃく)は飛騨高山から倭 国(後の大和)に飛騨より許可を経て贈られた。尚、飛騨白川郷 は世界遺産に登録されている。 奈良の歴史 桜井市の歴史は古く、縄文太古の昔は同市三輪山近郊の巻向にて 大集落を形成している。約2250年前、岐阜の地震によって逃 れてきた人々が、同市笠村に移住し、豊かな文明・文化をこの地 にもたらした。 ここは奈良時代以後、豊葦原瑞穂国と呼ばれた。三輪山にはこの地 国家運営を邪馬台と呼ばれた時代(紀元前〜5世紀)は、国の中心を 三輪(みわ)と言った。み「神聖」わ「倭」
日本の歴史〜日本の朝日 目次 【感謝のご挨拶】
「日本の歴史〜日本の朝日」 Japan's description 最初に、この著を読まれるあなたに感謝いたします。 アジアの極東に、日本という国があります。 このことから、縄文時代といわれる太古の昔は、充分に優れた文明であったことが伺えます。また、北海道函館市では、9000年前の漆器(うるしを塗った器)が発見されています。漆を使う文明として、現在、世界最古といわれています。それを知ってか知らずか、日本は、世界的に漆器(JAPAN)の名前で呼ばれています。 【日本創世記】 4千5百〜4千9百年程前には、現在の東北地方に国が興って来ました。まさに高度なシュメール(皇)文明が逆導入された時期です。津軽で阿蘇辺王国が起こり、近畿に邪馬台王国、筑紫に熊襲王国、出雲に出雲王国、関東に日高見王国、と、続々と王国が建国されて来ました。ユーラシア大陸、朝鮮を経由して来た人々が、石川県(加賀)の三輪に移住し、100以上ある小国を統一して耶靡堆国(やまたいこく)を建国しました。 最後の天照大神(ニギハヤヒ大王)が、大陸を巡り、中国を経由して秋田県と山形県の境にある鳥海山にやってきました。その時ニギハヤヒ大王が乗っておられた軍艦が、大きく見事であったため、後に人はその船を「天の岩舟」と呼ぶようになります。日本書紀に登場するその船は天空を駆け巡ったといいますが、筆者は当時の例えばギリシャの高度な化学文明を考えたなら、空を飛ぶような乗り物があってもおかしくはないと察するのです。 多くの小国の族長(王)がこの時代の動きに敏感に同調して、倭国とも称される耶馬台国は、急激に頭角を表してきたのです。時代は安定したかに思われました。 長髄彦と安日王は福島の会津で再開し、再起を願って東日流(津軽)へ逃れ、安日王を中央王として立君し、三輪郷(青森県弘前市)を中心に全く邪馬台国と同じ五王の制度を布きました。 日之本国荒覇吐王讃日は自ら支那に赴いて馬を導入しました。 以上の流れが解かり辛いのだといわれる歴史通の方のために、もう一度創世記の説明をいたします。
【鬼門】 かごめ かごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀とすべった 後ろの正面だあれ これを解りやすく翻訳するとこうなります。籠目は六角形、六母星古の国。その隠されてきた真実はいつ解き明かされるであろうか。それは古代日本が思い出される頃です。伊勢と出雲で祀りを行いました。後ろの正面、三輪山で政治を最初に行った大王を、封じ込めるためでした。その大王は誰でしょう。この唄は、ニギハヤヒの共和政治、人間としての暖かさへの慕古心からきました。大黒様として奉られている神への憧れです。 * ひふみ祝詞* {ひふみよ いむなや ことをちろらね しきる ゆるつあぬ そほたはくめかうおえに さりえてのます あせへほれけふるべ ゆらゆらと ふるべ} つまり、難しいことはいろいろ申しましたが、最終的に決めるのは未来を生きる皆さんなのですよ、と、三蔵法師がインド語を中国語に翻訳してるんです。是すなわち、呪文にして残すには・・・・残せません。だから行きましょう行きましょう彼岸の岸へ、皆で手を合わせて。そういう意味なのですね。全く瓜二つですね。だから、神仏が違うもののはずが無いのです。
【大和朝廷】
崇神天皇は、三輪王権を樹立しました。またここに、市場を設け、市場の発展を促しました。これまで、完全な統治というものが存在しないで居たことから、この地域は安定していて、そして栄えました。ため池の設置、都の造営、急ピッチで新都の建設がなされました。これを、実質としての日本国の一宮、磯城瑞垣宮といいます。現在の平等寺、そして天理教敷島大教会のエリアがそうです。天理教の敷島大教会という立派な教会があるのですが、この敷島とは、古代日本語で国の目という意味です。つまり、古代日本語とはアイヌ語、そして沖縄に伝わる言葉です。 【17条憲法の現代語訳】 ■第一条 仲良くお互いの心を大切にしよう。実績のある人に逆らわないように心掛ける。人は皆それぞれに考えがある。それゆえに、あるいは天皇に従わず、臣下と意見が違うことがある。しかし、上の立場の人は和し、下の立場の人は仲良くして、事を論ずるに和をもってすれば、事理はひとりでに通じて、功を修めることができる。
■第十二条 官僚は、部下に酷い条件を与えてはならない。責任ある人は、人の心を預かるので、それぞれに重大な使命をもってこれを行う必要がある。 どうですか、例えば天皇を総理大臣、官僚を代議士と言い換えれば理解しやすいはずです。もし、この憲法を今の時代の日本の政治家が理解し実践していたならば、日本はこんなに混迷の時代に入らなかったことでしょう。
【信仰の衝突】 天多利子比孤(聖徳太子=厩戸皇太子)は支那-高句麗より来た蘇我の血を半分は受け継ぎながらも自らがニギハヤヒの末裔であることを欽明天皇より教えられて良く知っていました。 だから、海部氏や物部氏や安部氏とも同じ流れの一族、つまり天照系であることを懸念していました。予想通り蘇我氏と物部氏の宗教対立が激しくなってきました。 大阪の大聖将軍寺では、敗者となった物部守屋のすぐ後ろに聖徳太子像が安置されています。奇妙な配置はおごそかに慎ましく真実を物語っています。また、これを大化の改新というべきかどうか、蘇我入鹿が中臣鎌子と中大兄皇子に暗殺される寸前、「一体何故私が斬られなければならないのか」と喚いたといいます。聖徳太子の死後、秦の始皇帝(ダビデ王の末裔)の子孫という秦河勝という人物は、太子が生前朝廷の官僚としては珍しく、海外の人間も平等に扱ってくれたことと、日本での出世の糸口を開いてくれたことへの感謝と敬意で、聖徳太子に祭らう伝説を多く作り、景教、キリスト教にちなんで、太子の存在を誇張したりと、至れりつくせりの大業をなしました。
【大都平城京の建設】
日本がはじまって以来の大工事です。 その日高見の将軍をアテルイといいます。日之本国は荒覇吐族であり、日本古代の源流です。あのニギハヤヒとも通じます。アテルイとはアルタイの同義語で、日本におけるアルタイ最期の主、つまり皇孫であられたという事実です。またアルタイとは、鷲のことであり、神武天皇東征の際には猿田彦として登場します。 <南部牛追い唄>〜岩手の民謡〜 田舎なれどもさはえ 南部の郷はよ 西も東もさはえ 金の山こりゃさんさえ 今度来る時や さはえ 持ってきてたもれよ 奥の御山のさはえ なぎの葉をこりゃさんさえ 備考:なぎの葉は(天皇家象徴)草薙の剣 意味は先程の解説を参考にして下さい 結局これは、天皇を中心にして利権に群がる政府役人と土建業者の談合、この世の花とばかりに性を謳歌する民衆の最悪なコンビネーションがもたらした狂気です。利権は財政のピラミッドを形成し、それは貧しい階級の一般人には届かないのです。性の混乱は、多くのウィルスを暴発させ、女性の子宮を汚し、男性の機能をも腐らせます。そういう時代にあって仏教を履き違えた俗論が横行して、けがれ思想の名の下に、大都平城京は焼き払われました。これは軍が火をつけたのかどうかは定かではありません。いずれ、治らぬ疫病にかかった人も同時に生きたまま焼かれたのです。 なぜか官僚や金持ちはそこへは居ません。歴史は繰り返されます。そして京都府加茂郡(慕仁京)へ4年間遷都されました。争いが絶えなかったため、充分な施設も創れぬままでいました。
【天平時代の幕開け平安京】 しかし、政権がらみの紛争は、平安という都にあっても、尚も激しく続いていました。ここに初めて登場します菅原道真公。この方は、仕事に熱心であり、人情に篤く、学者肌であり、かつ国の民のことを考えて行動するまさに求められた政治家でした。当然時の天皇からの信望もあつく、右大臣として歴然と名前の知れた大人物です。しかし、藤原氏にとって、これほど大きな壁も滅多にあったものではありませんでした。当然にせよ目の上の大たんこぶであったのです。 今も、道真公は、学問の神様として、篤く国民の信仰の的となっています。またこの頃日本史に名高い俵藤太「藤原秀郷」が関東にてあの東京の守護神といわれる平将門公を打ち破っています。
【鎌倉の世】 この時代は日本を説明する上でも重要な事件がありました。それは平家と源氏が存命を掛けて争った一騎打ちの壇ノ浦の合戦です。平家は無敵の水軍を誇り、源氏は無敵の騎馬隊を組んで片や海、片や陸の攻防戦を繰り広げていました。戯曲に有名な平家物語・・・・祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり 元の恐ろしさを現実に知っている人物の一人であったことが理由です。 道元禅師「いいですか、時頼殿。」
【南北朝の時代】
南北朝に分かれて天皇たちが争った時代です。後醍醐天皇と崇徳天皇は争い、崇徳天皇は讃岐へ島流しに遭いました。崇徳天皇は指を切り、その血で京都へ還りたいとの嘆願書を書くのですが、それでも願いは叶いませんでした。崇徳天皇は、天皇家を呪いながら死んでいきました。
【室町幕府武士の時代】
ここで改めて武士の説明をします。天皇が外へ出られるときは、護衛が付きます。今で言うところのシークレットサービス、SPとでも申しましょう。ですが、その持者たちの集団が、組織化されてゆきました。元々豪族であった彼ら雇われ者たちの間で権力欲が出てきました。天皇に願い出てはれて侍「さむらい」と名乗り、呼ばれ始めた彼ら武装集団は、朝廷のセキュリティー上の立場を持って徐々に頭角を顕にしてきました。そして、代表者たる足利家は軍事を司る最高職、征夷大将軍の座を手に入れました。3代将軍義満公は、その権威を誇示して金閣寺を造営。栄華を極めました。 この時代の僧に一休禅師という日本の名僧がいます。一休禅師はまさに一休禅ともいうべき人生をまっしぐらに突き進んだ僧です。室町と言う時代は特に家柄を自慢したり、華やかであることを都では見せびらかすような模様仕事が多かったです。そういう時代ですから、当然僧侶も退廃しておりました。一休禅師はたいへん聡明な方でした。聞くところによれば、天皇陛下のご落胤であられたと言われています。寺の会合に集まった僧侶たちが、自分はどこどこの生まれであるとか、どのくらいの寺に住んでいるとか僧侶にはあるまじき言動を行っていたのをご覧になられ、えらく落胆されました。それから、幼少期を世話になった寺を出、独り禅の旅に出られたとのことで、もう一休禅師が青年僧となられておられた時の話です。
【戦国の世はじまる:男たちの求めた理想郷】
安土桃山時代と呼ばれたフロンティア
すでに鎌倉、室町の時代を経て全国地方に鎮座している武家が、最も盛んにぶつかり戦い合った時代です。また、貿易が盛んになり、かかえきれない情報の暴発によって経済的なイデオロギーが衝突した文明の幕開けです。また、鉄砲文明がどんどん日本に浸透し、軍隊の中世近代化が行われた大量虐殺という恐ろしい時代の幕開けでもあります。 信長公が目指した日本
足りないものは他国から補う。海洋貿易立国の構想。信長公は、形骸的な地位や名誉よりも、質実を取って国益を優先する方です。早すぎた天才と申し上げても過言ではありません。室町将軍権力からの自立をはなから考えていながら、あえて1568年足利義昭を立てて京都に入り、そしてこともあろう事か、普通は考えられない、義昭公を将軍職に伸し上げたのです。義昭公あるいは朝廷は、信長公に対して副将軍でも何にでもしてあげるから、という一見成り上がりを目指す武将なら断らないだろう褒れを、あざあざと断ってしまっているのです。好きな国をあげようという彼らの賛辞も飲まずに、その代わりとして、和泉堺と近江大津・草津の三箇所への代官所設置を交通・流通・軍事の要所と捉えて要請したと見えます。上洛の後に信長公は日本各所の関所の撤廃を命令。これは今で言うところの、さながら高速道路の料金所の撤廃です。関所が意味するところの規模からは関税局撤廃とでも取ることができます。 天子様とばかりに奉られるかもわかりません。多くの人々が、信長公を歓迎しました。 しかし、もうこの時点で、特権商人や不動産屋とも取れる大寺院らは金銭的な大打撃を蒙ったのです。 信長公は、�\粘悗鯏映僂靴伸�環境対応道路を作った��ゴージャスな欄干つきの橋を建てた�こ稿擦鮟笋蕕擦拭� 偉大なる信長公。信長公は急ぎすぎになられました。なぜ明智光秀氏が、亀岡の帰り磐で引き返し、信長公をお射ちになられたか。もし信長公が徹底して協議によって和睦せしめる心があられたならば、この国、いや、この世界の歴史は嘆く事無く変わっていたのかもしれないです。しかし、あまりにも既存の時代を憎み、未来を夢見て信長公は独りで日本の重荷を背負いすぎました。それほどまでに、怒り心頭されておられました。本物の男、信長公は日本人に覇業の大王のとして代々語り継がれることでありましょう。
【秀吉公が目指した日本】
太閤さんとして、現代に語り継がれる太陽の子、秀吉公。 現大阪城は復元でありにしも、あの壮大な城の有様を見て何か高ぶる思いを募らせる男の人も多いことかと存じ上げます。実はあの本丸があった場所には、天守閣築城なるまでは、石山本願寺という寺が建っていました。宗教と武家、このどちらかが正しいのかという論争は歴史の結果に委ねるとしても、この大阪城の堀の大きさは半端ではありません。著者は以前関西地方にいて、モーターサイクルで大阪を巡回した経験があり、いかにその城が凄いものであるのかは確認済みです。ですが、いかにして秀吉公が太閤となられ、今や人口900万人とも言われる大阪の基礎をお作りになられたのかということに大変興味があります。
【1600年天下分け目の戦い。家康皇の目指した日本】
徳川家康。この方ほど理解されないで現代に至る覇者は居なかったでしょう。 日本国徳川幕府第十五代将軍徳川慶喜公 日本国徳川幕府第十四代将軍徳川家茂公 日本国徳川幕府第十三代将軍徳川家定公 日本国徳川幕府第十二代将軍徳川家慶公 日本国徳川幕府第十一代将軍徳川家斉公 日本国徳川幕府第 十代将軍徳川家治公 日本国徳川幕府第 九代将軍徳川家重公 日本国徳川幕府第八代将軍 徳川吉宗公 日本国徳川幕府第 七代将軍徳川家継公 日本国徳川幕府第 六代将軍徳川家宣公 日本国徳川幕府第 五代将軍徳川綱吉公 日本国徳川幕府第 四代将軍徳川家綱公 日本国徳川幕府第 三代将軍徳川家光公 日本国徳川幕府第 二代将軍徳川秀忠公 日本国徳川幕府 初代将軍徳川家康公
徳川家康公は何と15代も続いた徳川幕府の創設者なのです。今は東照神君と呼ばれ、日光東照宮に祭られたその人。しかし、今ひとつ奇妙なことに気が付きました。日光東照宮の祭神は確かに東照神君徳川家康公。日光東照宮は、山王信仰の中心でもあります。だから、祭神の頂点は、実は家康公では無いのです。では、何かと言われるときに、はじめて最初のあたりでお話いたした男の方が登場します。その方は、秦河勝公です。そう、あのダビデ王の子孫にして秦の始皇帝の子孫の方です。 では、生きるためには何でしょうか。お金なのか、安全でしょうか、あれもこれも言ってますと限がなくなってきます。しかし、もっと原点を見つめていかないと、複雑なパラドックスによって大切な自分の見解に目隠しをされてしまいます。人間の原点って、何でしょうか。環境と自然って、一体どうすれば治るのでしょうか。綺麗な空気は一体どこへ行けば手にはいるのでしょう。安全に食べれる食品はどこへ行けば手に入るのでしょうか。身体に害の無いおいしい水は、どこに行けば手に入れることができますでしょうか。 「大自然と共に生き、人は共生しよう。」『神道』「和を以って貴しとなす」『仏教』 誰かのせいにしても始まらないです。世界は最悪の方向に向かって急加速しているのです。 この忌みを考えれば、いかに自分たちが希求する穏やかな世界と現実がかけ離れているかが、一読瞭然として理解できます。エネルギー問題を先に解決しないと、武力を持った人はいつまでもあてなく戦争を繰り返します。ですが、その守るべき資源財産を持つ人々が、まさに精神的に、あるいは他の資源エネルギー捻出を可能としたならば、戦争と言うことに歯止めが利くとは思いませんか。日夜どこと言わずテレビや映画では拳銃や爆弾の映像の繰り返しで、簡単に人が死ぬのを面白おかしく放送しています。しかしそれが、間違いなのだということに気が付かなければ、大変な事になります。 なぜそこまで、人は対立しなければならないのでしょうか。
現在は戦争を知らない世代の危険な時代です。 筆者は、太平洋戦争の経験者の日本の先人より、日本国がなぜ戦争を行う必要に迫られたかの少しを聞いて育ちました。だからこそ、誤解の無い形で、日本の説明をさせていただきます。 【最後に、日清・日露・第一次世界大戦・支那事変・太平洋戦争戦没者供養のために回向します、こいねがう所は、日本民族先祖代々諸々霊に拝し奉り、菩提円満ならんことを祈り奉りこの本の最終章「この文献のまとめ=話すべき事」とします。】 ★世界で誰に手術が必要であれ、平等に最高の施術がなされるように。 夢のような幻のような地球のこのスローガンを達成することが可能なのは日本国の技術です。そして、今まさに日本に興味を持ってくださった、貴方や貴女なのです。 WELCOME TO JAPAN. |
【地球人類の歴史で考えるべき点と線のはじまり】上記文中のダビデについて知りたい方はどうぞ。
さて、宇宙が生まれて137億年、地球が生まれて46億年、地球から月が分離して45億年が経つのだと科学者の偉人は言います。本当に長い時間を生命は引き継いできたのですね。ことに人間のそれぞれ先祖は祖父母、そして両親からあなたや私に至るまで、ひと時も途切れてないことに驚きと感謝をまず隠せはしません。まさに感謝です。
最初世には男性も女性も無く、機能としては男性というのにふさわしいかどうかわからない「F」の存在が神によって与えられました。まだ、細胞分裂によって生物が分派していたころです。そうして、どういうわけか、遺伝子を次の時代へと伝承するミトコンドリアが生物と交じり合ったとき、つまり海が出来たときに、女は生まれ、「M」の存在として世界を命で瞬く間に潤したのです。FとMが交じり合って化学変化を起こし、実に色んな種類の生命体が生まれました。
今、といってもここ何千年は、生命の種が増えたり減ったりしないから大変安定した時期であるといえます。かといえ、絶滅の種があるのは、これは神が与えた人類への試練です。そう、他人事で無いという見地から実直に見て理解するならばです。6500万年前には恐竜が滅んだと言います。そして驚くことに地球上の生命は、2600万年ごとに滅んだり再生したりを繰り返しているといいます。6000年前にはシュメールの文明が開けました。この文明をもたらしたのは、二ビルという星から来た神々だと言われています。聖書ではエロヒムと呼ばれ、イスラエルではネフリム、ヤーヴェと呼ばれ、バビロニアではマルドーグと呼ばれた、伝説の神々です。神々が地球に来るまでは、あのエジプトのピラミッドは乾かしたレンガで造っていたのが、飛来神の到来以降はいわゆる地球には無い石を使って作られました。
文明はアッカドやバビロニア、ユダヤ人を介してローマそして世界へ広がりました。古代のセンムトという学者が、死後を通じてユダヤ人に教えたのは、彼の墓の内部の天井に描かれているオリオン座の三ツ星です。その下にはサーフオリオンの像が描かれています。石室の前には牡牛座のヒアゼス星団が描かれています。また、ソクデトの星、シリウスが描かれています。
注目するべきことは、この絵に彗星のような軌道を持つ天体が描かれているということです。それが、数字の8の字に描かれています。これは、二ビル星の交差することを顕しています。二ビル星の公転周期は3、600年です。面白いことに、地球が二ビル星と遭遇するのは3、600年に一回なのに、二ビル星から地球に遭遇するとなると、それは1年に一回なのだそうです。
筆者にはちと難しいので、頭の良い人は、どうかこの難題を解いてください。ひょっとすると日本童話の浦島太郎や竹取物語が何のことを風刺しているかが分かるかもしれません。
また、筆者は共に重大な出来事を皆様と考えてゆかないとなりません。皆様の中には「ポールシフト」と言って解る方もおられると思います。これは、惑星が地球と太陽の間をかすめて行くことによって、地軸がゆがんでしまうと言うまるでSFにでてくるような出来事なのです。ですが、これは現実にこの世界が何度も体験してきたことです。例えば奈良県の飛鳥には、亀石というものがあって、それが現在東を向いているものが西を向いたときに、日本が沈むという言い伝えがありますが、あれは何ら不思議でも嘘ではなくて、ポールシフトによって地球の天地が逆転しているのであるから、東向きが西向きになるということで、まさに過去にもポールシフトが起こっていることを古代人が教えてくれているのです。
皆様は旧約聖書のノアの箱舟のことをご存知ありませんか。また、日本神話の天の岩戸の話をご存知になられておられませんか。もしものために説明しますね。紀元前1682年とも、紀元前2340年とも言われているのではっきりとした年は分かっていないのですが、今の中東、イスラエルにあたる地域で、そのポールシフトの影響が激しく起こりました。地軸のゆがみ然り、太陽の影となって、地球は3日間、あるいは30日の間全くの暗闇に遭いました。多くの人が死に、ユダヤの12氏族はこの恐ろしい出来事を忘れることはありませんでした。その様子は、サンクトペテルブルグ博物館の中に秘蔵されているエルミタージュパピルスに、天と地が逆転した様子として余すことなく描かれています。この時のことを日本神話で天岩戸の物語として伝承しています。記述は後期の偽作であるにせよ、そこで何を象徴し物語っているかに、いかにその夜を生きた人々が恐怖に慄いたかを伺える歴史的伝説です。
それから40日40夜、雨が降り続いて、(6日ともいわれています)水は150日もの間地上を埋め尽くしたのです。このとき、神の声を素直に聞くことが出来たノアと聞いた一族と家畜が前もって用意していた箱舟に乗って救われました。船の寸法は縦150M、横40Mとあり、キリスト教の友人によると、それは今トルコで眠っているといいます。さらに世界にはノアの一族の生き残りの伝承が随所に見られ、亜細亜でも、大きい船を現す際はこの通り、8つの口と現すことから、助かった人の子孫が多く世界に伝播してゆくのが垣間見ることができます勿論、他の地域の人も生き残った人はいるのかもしれませんが、中東地域では大打撃であったに違いないです。いずれ、このポールシフトがいかに怖いかということは、お分かりいただけたはずです。過去の統計から言うと、陽が二つに見えたとき、地球はまた大変なことになるので、最低でも2ヶ月から3ヶ月分の食料と水は用意すると良いです。
されど、恐れて飛び回る必要はありません。このことは、ホピ族やネイティブアメリカンは古くから知っています。また、わざわざ筆者のような素人から聞かなくとも、神との交信ができる人は、いつでもどこが安全なのかわかるはずです。
自分の鼻で経験をもとに情報をかぎわけて吟味してみることは大切なことですね。それからノアの子孫は東に移り、シナルの地に平野を見つけて天まで突き抜けるような大きな塔を作りましたが、この人類の計画は途中で神の手によって中断せざるを得なくなりました。それでも場所を変えて人類は腐敗と堕落を繰り返したため、遂に神はソドムの町とゴモラの町へ硫黄と火を降らせて、そこにいた人々を滅亡させました。
この後、アブラム(後にアブラハムと呼ばれます)は弟のロトとカナンの地にやってきて天幕(祭神)を張り祈ったところ、神はカナンの全てをアブラハムに与えると指示を下されました。神はアブラハムの忠誠を大変な方法で試されますが、アブラハムは神への信頼と忠誠を貫いたので、神は遂に全世界を地上で統治する権限を彼にあたえたのでした。アブラハムの子供のイサクの子供、つまり孫のヤコブもまた神を敬いました。ヤコブはまた人の支持も得て、イスラエルと名乗ることとなりました。イスラエルとは日本語で「神の祝福を得た」という意味です。そしてイスラエルに12の支族が出来上がります。ヤコブの子ヨセフは聡明であったため、兄弟達からねたまれ、兄弟達の策略によって商人に売られ、エジプトへ連れ去られてしまいました。ヨセフの聡明さは、エジプトのパロ(ファラオ=王)にも叶い、エジプトの王はヨセフをエジプト全国の祭司として崇めました。時は流れ、ヨセフもその兄弟も皆いなくなりました。イスラエルの子供たちはたくさん増え続けました。
「ヨセフのことを知らない」新しい王が、イスラエルの人々の聡明さと強さを恐怖して、エジプトの助産婦たちに、女子は生ませ、男子は殺せと命じましたが、助産婦達は神を恐れ、男子を生かしました。ヘブライ人の子供は、パピルスで編んだ籠に入れられ、ナイル川に流されました。パロに見つかったら只では置かないのでお母さんの苦肉の策でした。その乳児を、なんとパロの娘が偶然に発見し、モーゼと名付けて育てました。モーゼはやはりノアより先祖代々の血を継いで居ます。つまり極度の正義漢なのです。エジプト人がヘブライ人を酷くこき使っていたのを痛く思い、パロの皇子であるのにも関わらず、エジプト人を打ち殺してしまいました。またヘブライ人同志で争っているのをみかけたならば、争ってはいけないと注意するのですが、逆恨みされ、「エジプト人を殺したように私も殺すのか。」と叱咤されました。
パロはこのことを聞いて、モーゼの素性を検めて知り、モーゼを殺そうとします。モーゼはエジプトを逃れました。この時代にモーゼは助けた集落の娘と結婚しています。一方エジプトのパロは死に、奴隷となっていたヘブライ人たちは苦役のゆえに、遂に自分達の始祖アブラハムや神のことについて思い出し始めました。またその一方でモーゼもアブラハム神、イサク神、ヤコブ神、つまりモーゼの先祖の意思を聞きました。
「私はエジプトに貴方を遣わせてイスラエルの民をエジプトから導き出そう。」そう、誓いました。
神はモーゼに言われました。
「イスラエルの人々に言いなさい。私は在って有るものの使いだと。」
神はパロエジプトに対して10の災いを与えました。これはエジプトの国が運営できなくなるぐらいの大打撃でした。いや、それ以上です。エジプトで人が生きて行けなくなるほどの事態なのです。エジプト人はさすがにこれは太刀打ちできない、神の業であることを知り、イスラエル人の解放を余儀なくされてしまいました。そして、退職金ともいえる、選別に金銀を奪取したイスラエル人は、次々とモーゼに付いてゆきました。その報告を受けて激怒したパロは、自ら戦車を率いてエジプトの全軍を結集してモーゼを討伐に向かいました。そして、パロの軍勢は遂にモーゼの一団を追い込みました。ところが、モーゼらイスラエルの民は神から祝福され、紅海を渡る事ができたのです。そうです、あのあまりに有名な紅海の奇蹟がまさにここに起こったのです。追ってきたエジプト人は、紅海を渡る事が出来ませんでした。エジプト全軍がここで海に没しました。イスラエルの人々は神を恐れ、モーゼを信じました。しかし、これからが大変です。モーゼはどうやってこの人々をまとめていったらいいか本当に考えました。それはもはや大いなる治安を維持する目的が多分にありました。そこでモーゼは神の意思に従って、シナイ山に一人登って行かれました。
そこで三日目の朝、遂に答えが出ました。
神の立法は次のことを言い、十戒といいます。
1、 ヤーヴェ以外を神としてはいけないです。
2、 偶像を造り祭ってはいけないです。
3、 神の名を乱に唱えてはいけません。
4、 6日の間働いて7日目を聖なる休み日としなさい。
5、 父と母を敬いなさい。
6、 人を殺してはいけません。生命を大切にしなさい。
7、 乱らな性行為に及んではなりません。
8、 盗みをしてはいけません。
9、 嘘をついてはいけません。
10、 すべての他人のものを貪ってはいけません。
神はイスラエルの民がいかなる偶像も崇拝しないようにとモーゼに申し使わされました。モーゼはこの意思を聞いて、下に居るイスラエルの民のことを心配されました。ところが、心配は的中し、心無い一部の民が神とモーゼの愛情に泥を塗るような行為に出ていたのです。イスラエルの民が作った小牛の金像を、他のイスラエル民がありがたみ、祭り、踊り、犠牲をささげはじめたのです。モーゼはこれを見て、神と共に激怒しました。つまり、偶像を祭り真実から心を偽証するこれこそが人類の過ちであり、早急にこれらの行いを見たモーゼは神の真意、『十戒』を二枚の石板に刻んだのです。
ここで、イスラエルの王や預言者についてお話します。
まず、モーゼからヨシュアまでは、直接神の命によって集団をまとめていました。次にあまりにも人口が増えたので、集団が集団で集団をまとめてゆきました。この頃が紀元前1300年代だと伝わります。五士師の長であるサムソンが5人の族長として集団の治安を維持し、政策を行っておりました。その後サウルの出現によってイスラエル王国が勃興し、サウルの部下であったダビデが二代王として立君しました。このダビデという人物はユダヤ民族の象徴、六母星によく例えられています。ベツレヘムで生まれた彼は実際に勇敢であり、驕りある者を許さず、凛として民衆の英雄でした。事実ダビデ王はモーゼとともに偉大な人です。三代王ソロモンは頭が良すぎ、優しかったのですが、贅沢を極めすぎたために、結局民衆が苦しみ、不信や反感を一身に受けて晩年は寂しい境遇であったといいます。
アッシリアも紀元前928年にはイスラエルは、北イスラエル王国と南ユダ王国の二国に分かれました。紀元前600年頃、南ユダ王国を滅ぼしたアッシリアもまた滅びました。このとき、10部族は離散したといわれています。同じくリーハイは、イエルサレムより今のアメリカ大陸へ移住しました。リーハイの第四子で末子のニーファイと長兄レーマンが居ました。1000年の後、ニーファイの一族はレーマンの一族によって滅ぼされます。紀元前の先住民ヤレド、リーハイの子ニーファイの一族ニーファイ、リーハイの子レーマンの一族ネイティブアメリカン、そして近代移民してきた白人と黒人のうち、ヤレドとニーファイは現在見当たりません。しかし、民族が完全に滅ぶなどと信じがたいので、その血筋は今もアメリカや世界にあるものであると考えています。
かつて我ら日本人が戦った相手であるアメリカ人が住むアメリカ大陸には、すでに6500万年前には、日本アイヌモンゴロイドが住んでいたのです。オーストラリアに到っては、日本と全く同じ縄文土器が出てきています。沖縄に伝わるミライカナイ伝説は、古代にもあった、これから地球に起こる陸地の浮き沈みを予告しています。与那国のタテガミ岩の近くには、火星にもあるスフウィンクスの顔が沈んでいます。そして、全く同じものが、オリオン座を眺めるように、たくさんあるのです。いずれ、エジプトのスフウィンクスの右足の下を考古学者かNASAが掘り起こすときがくるでしょう。そのとき、なぜ、我ら地球人が作られたか。どこから来たのか、そして、これからどのように、環境汚染災害や戦争の困難を乗り越えてゆくべきかが、解るような、気がするのです。そして、現日本国がなぜ皇国といわれ、世界全ての起源と学者らが話す理由も、解るはずです。
古代の問題と今の問題を照らし合わせて、どうぞ自分の問題として本文を御読みください。
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